6月。ちょっとうっとうしい天気の続くある日。受験まで7ヶ月となったのに,なかなか,成績の上がらない教え子への指導を考えながら,そのマンションのエレベーターに乗り,彼の住む10階のボタンを押しました。そして,いつものように「閉」を押そうとしたとき,一人の若い女性が小走りにエベーターへ向かってくるのが見え、私はしまりかけたドアの「開」のボタンを押しました。
「ありがとうございます。すみません!」と言って,彼女は7階のボタンを押しました。
彼女の左手を見ると,その手にあったのは,もじずりの花。
私は「もじずりの花ですね」と話しかけようとしていたのに,思わず「みちのくの ですね」と口に出てしまいました。すると,彼女は直ぐに「ええ,われならなくに ですわ」と答えてくれました。百人一首の札をとりあう姿と重なりました。
7階に到着すると,軽く会釈をして彼女は降りていき、私は「閉」を押すのを忘れて,自然に閉まるドアを見ていました。